「世界のパンフェアー」ここへの準備へはどれだけ心血を注いだ事か、初夏7月に阪急百貨さんからお話を頂き出店は晩秋11月で、6日間連続の実演販売依頼で当初は受けるかどうかさえも思案しました。なぜって、毎日のパンの配送費・出店のためのマネンキンさん経費・交通費・宿泊料諸々など計算すると収益は上がるのかと・・・

信頼する経営者達に相談しました。赤字を出してまでやる事はないという意見、収益以上に得るものがあるだろうからやったらいいという意見、そしてもちろんナミテテのスタッフにも意見を求めました10人中9人はやってみたい!といいます。私は未知の世界を見るが好きです。新しい出会いへの期待もありました。そして阪急は何を自社に期待しているのか知りたくて行こうと決めました。
実際の6日間は、44社ものパン屋さんの中で、初めて見る新潟の田舎のパン屋さんにどれだけの人が振り向いてくれるか、どんな感想を持ってくれるかドキドキでした。店舗経営とは全く違うライバル達がすぐそこにいて、それも全国の人気店ばかりが顔を揃えていました。べーグルしか出さない店や食パン一本で挑戦する店、ピロキシで勝負する店等々、世界各国のパンが並んでいました。ライバルから学ぶことも沢山ありました。
ナミテテは20種類のアフリカパンに限定しました。今回の看板商品アフリカのおやつ「マンダジ」は、毎日数百個以上は売れていくが一個130円のお品。早朝6時から21時までの実演販売。沢山の時間とお金を投資してどれだけ儲かったのかと聞かれると、正直大きな収益はありません。
開店10時から14時まで行列が絶えず16時で完売する関東の有名パン屋さんの蛇行した行列を毎日見ていると流石に落ち込みました。毎日閉店まで悪戦苦闘している自社。私の一番の力の源になったものは、新潟でこの大阪梅田に送るパンを作ってくれている店長をはじめスタッフ皆の存在です。そして目の前に並ぶ我が子のように愛おしいナミテテのパン達です。
気になるところはナミテテのパンの評判はどうだったか?です。うちのパンは百貨店のプロのバイヤーやコアのパン好きに受ける。つまり万人受けしないということ。いわゆる個性的なパン好きが話しかけてくるパターンが多かったです。ストライクゾーンが狭いのでそこにはまった人は強いファンになってくださる。開催期間中2回・3回来てくださるお客様が毎日何人かおられました。
まったく知名度がない地で、毎日の戦いは決して楽なものではありませんでした。だからこそ私自身の、そしてスタッフの学びと成長に大きく貢献したと思います。一つの大きなプロジェクトをやり抜くためそれぞれがそれぞれの能力を発揮して力を集結したことは強い連帯感と達成感を作りました。休日中のスタッフまでもお手伝いに来てくれる。本当にいい仲間を持ちました。
最後に新潟のお店をお休みにして、地域のお客様にはご不自由をおかけしても出店した価値があったかは、本当の所分かりません。出店が終わってお得意様には「地元のお客も大切にしてね!」というお言葉も頂きました。ごもっともです。しかしはっきり言えることは、ここへ注いだものは必ず我々の力になりこのお店に反映されると確信しています。これを機に未開地出店の戦略、特定原材料の表示方法について、日本の流通業の現状や搬送方法など沢山学びました。

何よりも初の絵本『世界一のシュトーレン』を出版することが出来ました。是非とも大阪に持っていきたくて急遽仕上げた暖かい絵本です。この絵本は将来ナミテテをけん引するものとなると思っています。会社の発展に寄与すると確信しています。順境なら「よし」、逆境なら「なおよし」といいます。苦しんで働くから弱い心を鍛え、人間性をはぐくんでいくのだと思います。大阪面白かった!!

最後に涙が流れるほど嬉しいメッセージを下さった大阪のお客さんがおりました。ここにお二人のお手紙を紹介して終わりにします。取締役マネージャー 工藤知子

追伸:二冊目出版は『百貨店催事の10の掟』(笑)で本が書けそうです。

阪急さんがこれでと押したパンはなんと「マンダジ」

売り場の様子、マネンキンさん達にもターバンを付けて頂きました。

パン業界では、みんな知ってるパンシェルジュの浅香正和氏と出会いました。

阪急の催事場はアフリカンな店内 ナミテテにみんな連れて行きたかった!